2005年04月08日

学校給食/ワタクシの先生

早くも小学校は給食が始まった。給食の前に、校内にある調理室を見学し、調理員さんから給食についての説明があり、その時頂いたカラーのパンフレットを持ち帰ってきた。

幼稚園の給食は、先生が給食を持ち運び、配膳までしていたが、小学校は、全てを自分でやらなくてはいけない。早速、給食当番になったコドモは、白衣を着て、配膳をしたそうだ。

20050408.JPG「お給食当番は、とっても忙しいのよ。食べる前と後にお仕事があってね。だから、お口を拭くのも忘れちゃった〜。」と、当番を任されたことをヒジョーに嬉しそうに話していた。

1ヶ月の献立表を見て驚いた。メニューだけではなく、材料が細かく記されている。

給食だよりによると「お子さんが好きな給食のメニューを、ご家庭でも作ってください。」とのことだった。「あの給食のおかずを作って。」とリクエストされても「作り方とか材料が、分からないから。」と、逃げていたが、もう逃げられないじゃないか。

言うまでもなく、うちの夕食よりバラエティに富み、栄養のバランスが良い。もう、給食様様である。コドモにとっても、学校生活の中で楽しみがひとつ増えたようである。

***

今日の午後、ワタクシが小学校1、2年生の時に、担任だった先生から、コドモの入学お祝いのお電話を頂いた。

第二次世界大戦中から教師をやっていただけあり、他の若い先生とは比べものにならないほど、とても厳しかった。いつも3尺の竹のものさしを持っていて、無駄口やよそ見をしている子供の机や肩を叩き、クラス全体を叱る時は、黒板や教壇を叩いていた。男女問わず子供の名前は呼び捨てだった。

ワタクシも、しょっちゅう怒られたが、とても可愛がられ、「長い教師生活で、印象に残っている生徒の1人だ。」と言われている。そのせいか、今でもお付き合いが続いている。

今は、定年後の生活を満喫していらっしゃるが、元先生だけあり、コドモが入学した小学校について、いくつも質問をされていた。

たぶん、80歳くらいになっていると思うが、かくしゃくとした様子は、昔と変わらない。先生は、いくつになっても先生である。(笑)
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2005年04月11日

寂しさ感じる時期

今朝、登校する時、コドモがさめざめと泣き出した。理由を聞くと「学校に行って、ママと離れるのが寂しい。」とのことだった。先週も、登校班の集合場所で寂しくて泣いてしまったそうだ。

保育園や幼稚園では、転入生ということで先生も気を使ってくれていたし、子供達も寄ってきたので、それほど寂しさを感じなかったのだろう。しかし、小学校は、皆が一律に新しく入った子供なので、先生も個々にケアはしない。また、近所に同じ幼稚園だった子供はほとんどいないし、社交性のない変わり者のワタクシは、ママ友達を作らなかった。よって、コドモも近所に友達がいないので、登校班では孤立しているようだ。

また、席の近くに、「い〜けないんだぁ〜」と言う、幼稚園や小学校のクラスに1人や2人は必ずいる「言い方がキツイうるさ型のおせっかい女の子」がいるとかで、「牛乳は飲まなくちゃいけなんだぁ〜。」とか「姿勢を良くしなくちゃいけないんだぁ〜。」と、先生には注意されない内容でも、後ろから何やかんや言われるのも嫌らしい。コドモは言い返せるほど言葉が発達していないし、そういう性格ではない。

言われた事は100倍返しだったし、相手が男の子ならキックやパンチをお見舞いし、泣かしていたワタクシとしては、言われっぱなしのコドモがもどかしい。(ワタクシのような子供が大勢いたら学級崩壊するんじゃないの?と、突っ込まれましたが…)

先週は、入学したばかりの緊張感、学校からの指示で、途中までワタクシがお迎えに行っていたので、寂しさを感じる余裕がなかったのだろう。

寂しい気持ちは分かるが、休ませるわけにもいかないので、何とかなだめて、学校へ向かわせた。

あいにく、午後は、外出しなければならなかった。こんな日に予定を入れなければ良かったなぁと後悔しつつも、オットに留守を任せ、外出した。バスが来るまで少し時間があったので、星飛雄馬の姉のように隠れながら通学路を見張っていたが、コドモより先にバスが来てしまった。

急いで外出から戻ると、コドモが元気な声で迎えてくれた。学校で楽しく過ごせたらしく「もう寂しくないっ、大丈夫よ〜。」と言っていたが、学校を休めるものなら休みたいそうだ。ヤレヤレ…。

今日からは子供達だけで下校することになっているので、親が途中まで迎えに行っては甘やかしているみたいだし、本人の自立を妨げるだろうし、他の子供達に示しがつかないかなぁと思っていた。しかし、正門や通学路の途中の至るところにお迎えのお母さんがいたので、「そういうのもアリだったのかぁ。」という感じである。

***

20050415.JPG以前、入学の記念撮影をした写真スタジオが気になり、ちらりと見に行った。「写真飾らせて下さい。」と言う契約書は、社交辞令にしか受け止めていなかったが、ランドセルと一緒に、コドモが1人で撮影してもらった写真がショーウィンドウに飾ってあった。(^^)V
写真の周りに花があしらわれ、スポットライトに照らされて、自分のコドモとは思えないくらい可愛さアップして見える。
ショーウィンドウの前で、ニヤニヤしていた母であった。
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2005年04月12日

子供達の襲来

朝から真冬並みに寒く、昼過ぎから雨が降ってきて、ますます寒く感じた。登校する時、コドモに傘を持たせなかったので、傘とレインコートを持って、学校までお迎えに行った。

コドモのクラスの子供達が一斉に靴箱のある入り口に降りてきた。コドモは、先頭集団の後ろにいたのに、動作が遅く、背が小さいので、後から来る子供達に追い越され、やがて弾き飛ばされてしまった。自分の靴箱に手を伸ばすことが出来ず、右往左往しているコドモの周りでは、子供達が次々と靴に履き替え、外で集合している。残り数人になった時、コドモは、ようやく上履きを脱ぎ、自分の靴を手にし、すのこの端まで歩いてきた。周囲の目まぐるしさや靴を履きかえることに一所懸命だったのだろう、目の前に立っているワタクシに気付いたのは、靴を履いた時だった。

コドモは、動作が遅い(鈍い)ので、このような光景は何度も見たが、置いてきぼりの姿は切ないし、必死な姿は健気である。コドモ自身が出来るようにならなくてはいけない事なので、手は貸さないが、遠目に見ながら、心の中では、大声で応援している。そして、そんな時でも、人を突き飛ばしたり、押しのけたりしない我が子を「エライぞ。」と、心の中で褒めている。

この時期は、同じ方向に帰る子供達でグループ分けし、集団下校をしている。ついでに、同じグループの子供達も引き連れて帰ることにした。子供達は、傘をさし、喋りながら歩いているので、車が来ても気付かず、道の真ん中を歩いている。何度も、大声で注意し、車の運転手に平謝りである。そんなワタクシの姿を見た子供達に「コドモちゃんのお母さん、たくさん子供がいるお母さんみたいで面白い〜。」と笑われてしまった。

面白い事言うアンタ達の方が、よっぽど面白いよ…。

子供達だけで歩かせるのは、まだまだ危なっかしいことを知った。雨の日は、途中までお迎えに行った方が良さそうである。

帰り道、子供達に「今日は、コドモちゃんの家に遊びに行くの。」と言われた。
「今日は、お父さんが家でお仕事しているし、お菓子もないし、また今度お約束しましょう。」と、遠まわしに断ったが、
「お父さんにも会いたいし、遊びに行くだけで、お菓子は食べないから、今日行くから。」と、断言されてしまった。

もし、その子供達の母親がその場にいたら「御主人がいるなら悪いわ。」「やっぱり、突然は困るわよね。」という話にもなるが、子供には、全く通用しなかった。

速攻、留守番をしているオットに電話をし、部屋を簡単に片付けてもらった。

自宅に戻ると、「お邪魔してもよろしいのかしら?」と、数人の母親からお伺いの電話をもらった。ほとんど同じマンションの子供達なので、支度が終わり次第、勝手に来てもらうことにした。

やがて、お菓子持参の子供4名が次々とやってきた。お菓子と飲み物を出すと、子供達だけで勝手に遊び始め、ワタクシは、何もすることがなくなってしまった。

幼稚園時代と異なるのは、近隣のマンションに住んでいる子供が多いので、子供だけで家を行き来することができる。付き添いの母親が来ないということは、母親達の相手をすることもないし、気の利いた茶菓子を用意、オットを追い出す必要もないし、部屋の掃除も適当でOKなのだ。これなら、何人子供が来ようと、ワタクシの負担が小さいことに気付いた。小学生の母になった事を実感した瞬間である。子供達が遊んでいる間、夕飯の準備をしていた。

「幼稚園は、子供同士が遊ぶ時、いちいち母親同伴だから面倒〜。小学生は楽チンだよ〜、勝手に遊んでくれるから。」という声をよく聞いたが、ごもっともである。

しかし、母親の目から解き放たれた子供達は自由奔放である。帰宅した後、至るところに食べこぼしとお菓子の包み紙が散らかっていて、オモチャ箱もひっくり返したままの状態だった。(笑)

最近、凹んでいたコドモだったが、少しは元気になったようである。
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2005年04月20日

授業参観1

入学後、初の授業参観が行われた。参観後は、役員を決めたり、先生との顔合わせを兼ねたクラスの懇親会が行われるため、この時期に授業参観のある小学校は多いようだ。

授業内容は、教科とはあまり関係なかった。まずは学校に慣れることが先決という時期なのか、本格的な勉強をするのは、しばらく先のようである。

想像はついていたが、コドモは落ち着きがなかった。周囲にクラスの笑いの渦を作るような賑やかな子供達が座っているのも一因のようである。教科書を使う時だけは、机上に教科書を置き、前を向いて、おとなしく座っているが、それ以外の時は、横や後ろの子供達や後ろに立っている他のお母さんに話しかけ、椅子の上に中腰になっている。最初は笑顔で参観していたワタクシだが、後半は、怒りの鉄拳をコドモにくらわせていた。

しかし、他にも似たような態度の子供が何人もいたし、教室を俳諧している男の子も数人いた。自分のコドモに過度な期待はしていないので、1年生とは、こんなモノなの…と思うことにし、今回の授業態度については、見て見ぬふりをすることにした。しかし、もう少し落ち着いて座っていられるよう、自宅で気をつけようと思う。

懇親会では、役員決めがあった。幸い、立候補の方がいたので、難なく決まった。今年は、色々な事情で引き受ける事が難しいと思っていたので、来年以降は、引き受けよう。

幼稚園と比べると、良くも悪くも地味なお母さんが多く、今、思えば、コドモの通っていた幼稚園は、派手だったのかもしれない。それと、親から離れ子供同士の付き合いになるせいか、母親同士は、深いお付き合いはしない、したくないというスタンスでいるのを感じた。小学校は、6年間もあるので、当たり障りなく細く長く付き合うという感じなのだろうか。

年に授業参観が何回もあることなど、ワタクシの時代の小学校とは違うことを感じた今回の授業参観である。というわけで、授業参観の日記はシリーズ化しようと思い、タイトルに「1」をつけたわけである。
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2005年05月09日

家庭訪問

本日は、コドモの担任の先生の家庭訪問だった。幼稚園は、家庭訪問がないので、先生が家にやってくるというのを初めて経験した。

そのような理由で、昨日は、必死に掃除をしたのである。ちびまるこちゃんの漫画では、お母さんが家庭訪問のために障子を張り替えていたが、さすがに、そこまではしなかった。

お便りで知らされた訪問時間を過ぎても、先生は来ない。日時を勘違いしたかと思い、何度もお便りを確認した。約束の時間から1時間経ち、ようやく先生がやってきた。

ワタクシより、ずっと年上に見えたが、面と向かって改めて見ると、同じ世代かもしれない。一般的に、先生は、地味な方が多いからだろうか、それとも、気苦労が多いのだろうか。

先生は、おっとり・のんびり・柔和なので、一年生が不安がらず恐れずに居られるだろう。大人から見ると、やや天然?と思う時もあるが…。(笑)

先生のお考えに基づいた子供達への接し方、クラス全体の話が中心だった。
コドモ自身は、特に問題ないとのこと。天真爛漫で人懐こいため、休み時間になると、全生徒の交流会で仲良くなった6年生の女の子達が、コドモのところへ遊びにやって来て、面倒を見てくれているそうだ。小さいながらに、「ありがとう。」と自然に言えるところは、ご家庭を反映しているのだろうとのことだった。

かれこれ30分近く話した後、学校へ戻られた。

20050509.JPGワタクシが小学生低学年だった頃、自宅に戻らず、先生と一緒に学校を出て、家庭訪問に付いて回った事がある。行く先々のお母さんは、驚くこともなく、先生と私の分の茶菓子を用意してくれ、先生が話をしている間、私は、その家の子供と遊んでいた。

自分の家の番になると、嬉々として案内したが、玄関には仁王立ちの母が…。先生に、家庭訪問に付いて回っていることを平謝りしていた。それでも懲りずに、他の日も付いて行った。

私がピアノを習っていたり、父が好きだったこともあり、ピアノクラシック全集のLPなどBGMにし、滅多に使わないクラシカルな装飾のついたカップ&ソーサーに紅茶、駅前のケーキ屋で一番高いケーキを先生に出すというのが、家庭訪問に来た先生へのおもてなしだった。

母が、おしゃべり好きというのもあったし、ある学年の先生は、母と同世代だったので、会話が弾み、かなり長居をした。自分の家以降の家庭から「先生が来ないけど、どの家庭で止まっているのでしょう?」と、電話が入ったこともあった。

家庭訪問に付いて行ったおかげで、クラスメートの大半の家を知っていた。今よりも、中流家庭が多くなかったのか、和室に札束の入っている金庫がある家、代々開業医というお屋敷もあれば、崩れかかった土壁の小さな集合住宅、親戚に間借りしている家庭等、クラスメートの住環境はピンキリだった。当時は、大人の事情も分からず、漠然としか見ていなかったが、大人になって思い返すと、色々と推測できる事が多い。

自分の子供を棚に上げ、すぐに教師や学校を責める親はほとんどいない、教師や学校が親の顔色を伺うこともない、先生が先生然としていた時代の話である。
posted by ワタクシ at 09:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子供・学校
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